その後日譚
ハロウィン祭りリベンジ@紅魔館・今夜も私とブレイクよお嬢様無礼講はブレイクに変化しません8次会目
「ヒマそうね」
「暴れ足りん」
「この程度いいじゃない。大きな異変でうさ晴らしすれば?そうね次は妖怪の山あたり匂うかしら。
いやいっそ私が」
「やめい」
「あれーアリスさんはー?上海さんはー」
「どーせまだ飲み続くから一旦帰るって。
外行かない?花たちが心配だわぁ」
「お嬢様時計こんな感じですかー?」
「グーッジョーブ」
・・・・・
ごめんね、すぐ紅魔館に行くからその後になるけど、ちゃんと手入れするからね
だから、もう、とにかく今は…
ねかせてあああああ
・・・・・
それからしばらく…
一年くらい戦ってたようなアリスは、パーティーのお誘いがめでたくトラウマとなりましたとさ。ザカザン!
おしまい!
★
おまけ〜没カット編〜
ロリス没ver
ぐやともこう
巨大化前
〜余白に落書き編〜
絵のリクエストを頂きました。
“1957年11月3日、ライカを乗せたスプートニク2号はバイコヌール宇宙基地から打ち上げられ、衛星軌道に到達した。
それ以前にソ連およびアメリカが動物を送り出していた宇宙船は、衛星軌道までは達していない。
スプートニク2号は大気圏再突入が不可能な設計だったため、1958年4月14日、大気圏再突入の際に崩壊した。
ライカは打ち上げから10日後に薬入りの餌を与えられて安楽死させられた、とされていた。
しかし、1999年の複数のロシア政府筋の情報によると、「ライカはキャビンの欠陥による過熱で、打ち上げの4日後に死んでいた」という。
さらに2002年10月、スプートニク2号の計画にかかわったディミトリ・マラシェンコフは、ライカは打ち上げ数時間後に過熱とストレスにより死んでいた、と論文で発表した。
ライカに取り付けられたセンサーは、打ち上げ時に脈拍数が安静時の3倍にまで上昇したことを示した。
無重力状態になった後に脈拍数は減少したが、それに先立つ地上実験時の3倍の時間を要した(ストレスを受けている兆候である)。
この間、断熱材の一部損傷のため、船内の気温はセ氏15度から41度に上昇し、飛行開始のおよそ5〜7時間後以降、ライカが生きている気配は送られてこなくなったという。
結論としては“正確なところはわからない”ということである。
打ち上げから40年後、宇宙犬たちが訓練を受けた、モスクワのペトロフスキー公園の南西にある航空宇宙医学研究所にライカの記念碑が建てられた。
ライカには複数の意味がある。主としては西側でロシアン・ライカとして知られている犬種のことである。
クドリャフカ。
これは当時のソ連ならびにソ連の学者達が犬を当初はクドリャフカと呼んでいたわけではなく、あくまで西側において、最初の宇宙犬の名前であるとして報道されたに過ぎない。
「この歴史的なイヌの名前は運命の報道は、かなり混乱している」『宇宙開発の50年−スプートニクからはやぶさまで』より。
打ち上げ直後においては、他にも名前を「ダムカ」「リンダ」とする報道も見られた。これらは全て、いわゆる「政府筋の情報」とされたものである。なお「クドリャフカ」は「巻き毛ちゃん」という意味である。
第二号衛星にのったライカは小型犬で目方は約五キログラムであった。ライカの系統は残念ながら明らかでない。
ライカの性格は粘液質であった。飼育室の中にいても、同僚犬たちと争ったことがなかった。
ソ連側の情報では犬を「クドリャフカ」「ダムカ」「リンダ」としている物はない。
最初からライカが正式な名前であり、現在においても記念碑に「Лайка」と犬の名前が書かれている。
宇宙飛行ではいつものことだが、政治的=技術的な二重の要素が考慮された。
全世界の、特に子供達を夢中にさせるような、かわいくて写真うつりのいい犬を選ぶこと。そしてそれはロシア原産種でなくてはならない。
ライカ以降、ソ連は通算13頭の犬をロケットに乗せて打ち上げているが、これは1961年の人類初の有人宇宙飛行(ユーリ・ガガーリンによる)に備えたものであった。
その多くは地上に生還している。” ――wikipedia転載
「クド描け」っていう。
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応援してました
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そこまでよ!